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このページはまだ未完成だらけです。 申し訳ありません。 懲りずにもう少し待ってください。 誤字・脱字も徐々にフィックスしていきますのでよろしくお願いします。
※2003年中に海外領土(TOM)から海外県(DOM)に移行する事になったようです。仏国としては、 マルティニーク、グアドループ、ギアナ、レユニオンに次ぐ五つ目の「海外県」です。仏国本土各県と同等の権利を持つとの事ではあるが、真相は不明。今後も調べて行きたいと思います。
タヒチと仏国核実験の影響
The effects of French nuclear testing

Vol.2 ヴァージョン01/31Oct2005
MonaMona姐の活動雑記
1995年〜1996年

ヴァージョン03/05Dec2003
建前はフランスの一部だが…
(タイトル未定)
工事中
雇用という名目で大量の放射性廃棄物を押し付けられたタヒチ。領土大統領の欺瞞や自治権という免罪符で蹂躙されつづけ、観光資源保護上の理由から被曝後遺症にも覆いをかけて閉ざしている。絶対に安全と主張を繰り返す仏国政府は領海内の放射線流出調査を他国や民間団体に許可しない。ポリネシアの死亡者数や死亡原因、ガン疾病数なども発表しないのは何故だろう?一説によると甲状腺ガン発症率は世界一とも…??
※モルロアは正しくはMoruroaと書く
Moru(モル)=仕事 roa(ロア)=多い
モルロア=仕事が沢山ある島
この活動雑記を書くのは正直言ってとても辛いことだ。出来れば忘れてしまいたい。悪夢のような1995年から7年半・・・まだ、心の一番ヤワイ部分についた大きな傷がいまだに膿んでいる。たぶん、死ぬその時まで癒えることはない、深い深い傷。ふだんはそっと触れないように隠しているこの傷をほじくりかえす作業になるのだから。でも、その反面、きちんと残しておきたいという気持ちも強い。きっかけを作ってくれたHopuhopuこと私の連れ合いに感謝(?)たぶん、このきっかけがなかったら一生書かなかったかもしれない。
ほんの25年〜30年前まで、タヒチ語を使う事は禁じられていた。どおりで若いタヒシャンにタヒチ語が通じない事もあった。ハワイ同様に肌を露出する事や官能的なダンスも禁止になっていた期間もある。欧州によるキリスト教感化という「善意の押し付け」により文化や芸術にも横やりを入れられ、翻弄され続けた楽園だが、歴史の中で自治権も獲得し、フランスの一部である事を誇りとする人々も増えてきた。しかし…いまだ植民地的な搾取や差別は続いているように思える。その前にマオヒとしてリスペクトは受けているのだろうか?

1995年、阪神淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件など、世間を揺るがす大事件がいくつも起こった年でした。
中でも私(Hopuhopu)を襲った人生最大級の衝撃、モラトリアム(緊急的に一時停止措置が取られていた)後の「仏国核実験の再開」…。あの美しいタヒチで地下核実験が行われる?!しかも1995年は終戦後(原爆投下後)50周年にあたる祈念碑的年でもあるのに。当時はCTBTやNPT法案などに核保有国が条件付きながらも批准する方向で、核兵器のない世界にすこしずつ進んでいるように思えていた矢先でした、なんてアナクロい!………たしかに嫌な予感はありました、シラクが仏国大統領に就任したのも95年、その選挙時の公約に、たしか「核実験再開」もあったような?でも、世界的に核廃絶の動きの中で「自由・博愛・平等」を謳うフランスが、まさか実験を 強行する事は無いのではないか?などと落ち着くように自分を毎日なだめ、物凄い不安と憤りの中でフアヒネ行きの予約を進めていました。
それからは毎日が「核実験阻止」の活動でした。いてもたってもいられない衝動にかられたのです。仏国大使館前でのデモや街頭デモに参加したり署名を集めたり…およそ自分の人生では興味も無く、一生やる事も無いと思っていた事を毎日率先してやっている自分がいました。しかし1995年9月5日に世界中の非難の中でモルロアで20Ktの「悪魔の瓢箪」が爆発してしまいました。もちろんフアヒネ行きはキャンセル……その時東京の風景がネズミ色になり、やりきれない怒りと悲しみで頭が変になりそうでした。その後平和的手段による抗議行動を続けましたが、頑張りも空しく、ファンガタウファで二回、モルロアで三回、計六回もの核実験が強行された事は御存じのとおりです。仏国の強行が引き金となり米国は未臨界核実験を再開、中国も地下核実験を実施。インドやパキスタンといった国連常任理事国以外の国による核実験が行われたりと、まるで時代を冷戦下に巻き戻すがごとき悪夢的ニュースのオンパレードになっていきました。 失意の中でいろいろ調べて行くうちに、仏国政府は過去に200回を超す核実験を行なっている事を知りました。そのほとんどが、モルロアかファンガタウファで行われています。恐ろしい事に1974年までは大気圏で爆発させていたのです。仏軍の兵士は「神様が作ったものを見せてやる」とマオヒの少年たちにキノコ雲を見せていたといいます。自分たちは防護服に身をつつんで…なんだか人間の所業とは思えない話が沢山でてきます。ぜんぜん「アイタ ペアペア」じゃ無いし、仏国政府がマオヒの人々を人間として扱っているか疑問に思えてきます。
話は少し遡りますが「核実験阻止」活動の頃、NGOの会合で1本のVTRを見せていただきました。それがこのページのタイトル「Hotu Painu」(ホツ・パイヌ)です。英語タイトルは "Poison Fruit" …漂流してきた「ココの実」の事で「腐っていて毒がある」という意味です「悪い影響」や「不吉なこと」といった意訳もできるようです。VTRの中でマオヒの男性がこう証言します。「欧州の人々がやってきてから良く無い事が多いように思う、彼等は我々にとってホツ・パイヌなんだ…」
観光立国であるタヒチはこれからもマイナスイメージに覆いをかけ、隠し続けてていく事でしょう。しかしこの悲しい側面をも含めて私はタヒチを愛し続けていきます。そしてタヒチがどのような方向に進むにせよ、マオヒの人々を応援し続けたいと思います。